こんにちは。minamiです。
日本を代表するエースだったバレーボール選手の
中垣内祐一さんが現在は米農家を営んでいるとテレビで放送され
話題になっていますね。
そんな中垣内祐一さんについて少し調べてみました。
どうぞ最後までご覧ください。
中垣内祐一の現在は大学教授・米農家
参考: 福井工業大学
2021年の東京オリンピックで監督を務められたことは記憶に新しいですが、
その後は地元である福井に戻られ、中垣内祐一さんの現在は
福井工業大学教授と金井学園バレーボール部の総監督をされてます。
そして、休日を中心に米農家も営んでいるそうです。
中垣内祐一が“米農家”に異例の転身「高橋藍だって30年経てば…」56歳になった“元スーパーエース”の意外すぎる第二の人生(田中夕子)#バレーボール #volleyball #中垣内祐一 #龍神NIPPON #NumberWeb https://t.co/5XAyrJjGSF
— Number編集部 (@numberweb) November 14, 2023
バルセロナ大会
バレーボールといえば
福井県出身
同い年がいっちゃんこと
中垣内祐一さん。
現在は地元福井でお米農家さんです。#krydoyo pic.twitter.com/FASwa5lCbW— としエヌ (@top_gorgeous) October 14, 2023
日本代表監督をされている頃から時々、福井の実家に帰り米作りを行っていたという
中垣内祐一さんですが、子供のころから田んぼの手伝いされていて、
自然に囲まれた中で米作りをすると心が安らぐそうです。
中垣内祐一の現役時代も含めたこれまでの経歴
学生時代とバレーボールの始まり:
- 福井市出身で、中学1年生のときにバレーボールを始めました。
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- 高校でもバレーボール部に所属しましたが、当初はバレーボール選手を目指すつもりはありませんでした。
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- 国立大学の工学部へ進学しエンジニアを目指す予定でしたが、共通一次試験の結果を受けて筑波大学を受験し、体育教員の道を選びました。
筑波大学と全日本代表:
- 筑波大学のバレーボール部に入部し、1年生からレギュラーとして活躍しました。
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- 1989年には全日本代表に選ばれ、同年のワールドカップに出場しました。
プロ選手としてのキャリア:
- 卒業後は新日本製鐵(後の堺ブレイザーズ)でプレーしながら、1992年のバルセロナオリンピックに日本代表としてエースとして参加しました。
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- 2004年に現役を引退するまで、多数の国際大会で活躍しました。
指導者としてのキャリア:
- 現役引退後は、堺ブレイザーズの監督として後進の指導にあたりました。
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- 2021年の東京オリンピックでは、男子日本代表の監督としてチームを29年ぶりの8強進出に導きました。
教育者としてのキャリア:
- 2022年10月1日に、福井工業大学の教授及び金井学園バレーボール部の
総監督に就任しました。
- 2022年10月1日に、福井工業大学の教授及び金井学園バレーボール部の
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- 教育と指導において、学生たちの人間としての成長に焦点を当て、地元福井でのバレーボールの発展と若い選手の育成にも力を入れています。
![](https://hayushi.com/wp-content/themes/cocoon-master/images/woman.png)
中垣内祐一さんの経験はバレーボールの世界だけにとどまらず、教育者として、また地元福井への貢献者としても広がっています。特に、アスリートとしての彼のピークを経て、その知識と経験を若者たちへと伝えようとする姿勢は、多くの人々にとって非常に刺激的であり、教育的な手本と言えるでしょう。
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